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倫理だより(16年度)
 大洲喜多倫理法人会も今年で準倫理法人会から含めて5年となりました。
その間、準備段階から近藤前会長はじめ会員の皆様の努力で今日に至りましたこと誠に嬉しい限りであります。
 このたび、錚々たる会員さんがいらっしゃるなかで私ごときが会長職をお引き受けいたしますのは恐縮であります。
 この5年間和気藹々と楽しい会であったと思います。
私にとりましては異業種交流の場であり、また、たくさんの方々とお知り合いになれた楽しい会であります。
そして100社の会員さんが参加され、すばらしい会になりつつあります。
しかしながらここあたりで倫理法人会とは何ぞやという原点に返って考える時期になってまいりました。
倫理研究所の言葉をお借りすれば「倫理研究所は文部科学省所管の社団法人であります。そして社会教育団体であります。」
倫理法人会とは経営者の勉強の場であり、交流の場であるということです。
 「経営者が変われば会社が変わる。会社が変われば社員が変わる。」
 私ごとき凡人には「言うは易く行うは難し。」というところでしょうか。
 現実には世の中不景気、そんな悠長なことを言ってもしょうがないじゃないかという本音がでてきそうであります。
会で活動するよりも毎日の仕事を一生懸命やるほうが会社のため、自分のためになると思われるのであるます。
それで経営者として充分満足がえられ、充実した毎日が送れるのであればそれもまた生き方であります。
しかし、色々実践されている方々のお話を聞くとき、自分だけがよくなればいいという考えの方はおられません。
皆さん真剣に会社をよくしたい、世直しをすべきだとお考えのようです。
私はそこに何か人間として共感を覚えるのですが。
 倫理法人会ではモーニングセミナーを重視しております。
これは朝型の生活習慣を身に付けるということであります。
1日が長く活用できるのであります。
たまに早起きすると1日が長くしんどいという感じを私ももっておりましたが、モーニングセミナー委員長を2年間させていただき、役目柄早起きをするようになったのでありますがおかげさまで今は5時には目がさめるのであります。
現在木村龍之委員長が2年目を引き受けてくれておりますが、他の会にないわが会の特徴ではないかと思っております。
もちろん朝礼をされ「職場の教養」を活用されれば最高です。
 すがすがしい朝を沢山の皆さんとすごせればより楽しくなるのではと思っております。
 本年度は各委員会活動を通じて皆さんのご参加をお待ちしたいと思っております。
 どうぞこの1年よろしくお願い申し上げます。           
 この度大洲喜多倫理法人会の会長を退任させて頂く事になりました。
 ブロック長から数えて5年間、会員の皆様に支えられ、平成11年12月12日に準倫理法人会開設、平成13年6月6日に正倫理法人会に昇格致し、数々の教えを頂き、又多くの倫友との出会いを本当にありがとうございました。
また、県の一宮会長様以下役員の皆様には、最後まで丁重なるご指導を賜り、一生の宝の様に思っております。
 退任はいたしますが、また1会員として色々な立場で出席致すと思いますが旧倍のご指導、ご鞭撻をお願い申し上げ、ごあいさつと致します。
 いつの頃からか、「日本が変わった」といわれ、長い時が流れました。
戦後の耐乏生活を体験した私にとって、今ほど、便利で豊かに品物が溢れている時期はないと思います。
 使い古した品物を、「捨てるには勿体ない」と自ら諌めた時代感覚の人間さえも、新製品を買い込み、生活をエンジョイしています。
 我慢、控える、譲り合う、といった精神をお互い、忘れ去ってしまったのではないかと懸念する昨今です。
かつての地域社会では、誰もが自らの器量を心得、余程でない限りシャシャリ出るような言動はしませんでした。
 責任を果たせないことについては態度を控える、という姿勢が皆、顕著でした。
信仰心も厚く、生きていることへの感謝、大自然に対する畏敬の念、神仏、先祖への敬いは当然なことと教えられてきましたが、現代は、なにか間違っているとの思いを抱いています。
 そんな折、大正2年に発行された渋沢栄一の「青淵百話」(せいえんぎゃくわ)という本に出会い、わだかまりが払拭された気分になりました。
「西洋思想はキリスト教を根底として、積極的で、権利観念が著しい。
東洋思想は多くは消極的で、内に蓄え、明らかに外には現れない。
己を律し、義務を先にし、権利を後にする傾向を帯びている」と説いています。
この東洋思想が、日本人の心情の源泉であったと思われます。
 義務と責任を常に優先してきたことが、日本人の「情」を育んできたと思えて成りません。
今、正に権利主張のみが優先され、義務と責任が疎かにされる自己中心的な風潮が、「日本が変わった」といわれる証だと思えてなりません。
 亡き司馬遼太郎氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」と題した次ぎの一説も思い出されます。

  人間は自然によって生かされてきた歴史の中の人々は自然をおそれ、その地からをあがめ自分たちの上にあるものとして身をちつしんできた

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